ミニマーコス
「巨人を相手に戦う小さな車の物語」
(今回も長文です)

箱根にはミニマーコス系というか、
ミニのパワートレインを使ったキットカーの集まりになった?


 突然ですが、箱根に集まることになったミニ・マーコス系+「ミニ」ベースのキットカーの集まりに行って来ました。
 もっとも、私の場合はマーコス1600GTが秋田に行っているのでミニマーコスGTのオーナーの横山さんの1969年型ミニマーコスGTに同乗させてもらって箱根へ向かったのでした。
 それにしても、集まるからと呼び掛けても動かなくて行けないとか、レストア中だとか参加できない人間が多かったというのは旧車ゆえの悲しさですね。(別にマーコスだからってわけじゃないですよ!)

目の覚めるようなメタリック・ブルーのミニマーコス。
しかし、ここまでのレベルになるに、相当の困難を乗り越えて来たそうです。

 ミニマーコスに乗せてもらうのは初めてだったんですが、やっぱりというかマーコスっぽい感じがします。
 座った時に感じるオーラというか、空気というか、雰囲気が「マーコス」してました。
 意外だったのが小さな車体に似合わず足元が広々としていて居住性が良かったことです。

 乗り心地は意外と硬派でした。あまりガチガチなレース仕様になんかしないで、ツーリングで楽しいようにと穏やかな感じにしてあるということでしたが、うーむ、フロントスポイラーが迫力がありますよね。

 「マーコス1600GT」はエレガントなイメージですが、「ミニマーコス」はラブリーです。街中を走れば子供達に指を指されて「ちっちゃーい!」とか言われるそうです。まぁ、確かにチョロQのデザインをそのまま大きくしたといえなくもないですもんね。

<ミニマーコス誕生の話>
 さて、このミニマーコス。意外とどうしてつくられたかが知られていません。
 知られていることといえば、ミニベースのキットカーで1966年のルマンに出場して英国車唯一の完走を最後尾でありながらも果たしたという伝説と西風のマンガ『GTロマン』でセブンをぶちやぶるJEM GTくらいだと思います。(実はGTロマンのJEM GTは実在します)
 ミニマーコスに対しては、もともとマーコス社のアイディアではありません。
 ディジー・アディコットという人との会合の中から出て来た物です。このディジーさん、D.A.R.T.(ディジー・アディコット・レーシング・チーム)というのを作っていたんです。このレーシング・チームはミニのスペシャル版で構成されていて、彼もミニのバン外装を取り払いそこに自分で作ったボディを乗せた車を持っていたりしたのです。で、ディジーさんがジェムさんにあんたもどうだい?と話を持ち掛けたわけです。

 でも、マーコス社の創設者であるジェムさん(現在70歳)は否定的だったんです。計算してみると、とてもじゃないけど欲しがる客に送り出すまでには高価になってしまう。
 しかし、そこでジェムさんは考える。ボディはグラスファイバーにして一体型のものを作ればなんとかなるかもしれない。そして、マルコルム(マルコム?)・ニューウェル(Malcolm Newell)さんにデザインを依頼する事になるのです。
 このマルコルムさん、意外と知られてはいませんが、「ACコブラ」やオートバイ「クエーサー」のデザインを手掛けることになる人です。キャロル・シェルビーの影に隠れて見えませんけど、コブラの物凄い迫力のボディはミニマーコスを手掛けたマルコルムさんがやっていたんです。
 もっとも、このマルコルムさんは保守的な人達からはあまりにもマニアックだと不当な評価を得ていたようです。しかし、この人なくてはミニマーコスがあれほど世界中で愛されることもなかっただろうし、ACコブラももっと違った形になっていたでしょう。(彼は1994年に亡くなりましたが、その遺体は遺言どおり、彼の愛していた自宅の庭の中へと埋葬されたということです)

 さて、ミニマーコスを手掛けるにあたってジェムさんはある指示を出しています。
 それは……
1:必要なパーツは全てミニから外した部品で作れる車であること。
2:部品は取り付けるあたって一切の加工をせずに流用できること。
3:グラスファイバーを使用したモノコックボディ(シャシー)であること。
 という3点です。
 ジェムさんはこの3点をクリアすればミニ・マーコスを安価に提供できると考えたわけです。
 その結果生まれたミニマーコスは、窓付きのボディがたったの199ポンド、他の部品は全てミニの流用で済み、短時間で組み立てられるという手軽さによって多くの人に長い間愛されることになります。
 そして、1966年に発表されたミニマーコスは、初めて出展されたレーシングカー・ショーだけで144もの引き合いが来るという結果になったわけです。(この数字はキットカーメーカーでは大きな物です)
 
 そしてミニマーコスが初めてサーキットを走ったキャッスル・コンベのレースの時には、同クラスの車の中でいきなり最速ラップを叩き出し、決勝で10周のラップを重ねた時には、2位にすでに1分22秒という大差を付けてしまったというエピソードがつくられたのでした。
 そして、BMCによってチューンされた1275CC、クーパーSユニットを搭載したミニマーコスは1966年のル・マン24時間に出場することになるわけです。フェラーリやポルシェ、フォードGT40と同じ土俵で戦うことになり、最下位ながらも英国車唯一の完走をとげる――あの有名なエピソードがつくられるわけです。
 オーナー達はきっとル・マンを走るミニマーコスの姿と自分のミニマーコスをダブらせて応援していたに違いありません。
 そしてまたミニマーコスはル・マンに参加したもっとも安い価格のレーシングカーでもあったわけです。
 (ミニを作ったアレック・イシゴニスは、ミニマーコスをどうも快く思っていなかったようで、最初は無関心を装っていたけど、このル・マンでの出来事で変わったという話も聞いたような……)
 それにしても、基本的にたった199ポンドの車が大メーカーと同じ土俵で戦い、完走を果たしたっていうエピソードはついミニマーコスの肩を持ってやりたくなりますね。
「小さいからって馬鹿にするな! 俺にはお前達に負けないだけのスピリットがあるんだ!」
 って主張しているような気がします。


<一路箱根へ>

ミニマーコスの助手席から。
なかなか良いもんですな。

 さて、横山さんとマーコスの話をしながら走っていったわけですが、楽しいんですよ。このミニマーコスは。
 途中、クラウンの助手席のおばさんとか、家族連れの後部座席から子供達がずっとこっちを見ているというお約束の出来事があったり、ジネッタG4と出会ったりしながら集合場所へと向かいます。

バックミラーに写るジネッタG4

 ミニマーコスの印象ですけど。そりゃ車体が小さいし、やっぱり小排気量車でパワーが有り余るってわけじゃない。ちょっとした段差でピョコピョコと跳ねますし、上り坂ではもう少しパワーがあったらいいのに、い思う事もあります。だけど、それらはみんな嫌じゃない。あの小さな車体にクラウンと同じ高速安定性を求めてどうすんの? そりゃミニマーコスが可哀想だ。
 運転していて楽しくて――それだけでいいじゃない。
 と思ってしまう。
 小さなエンジンを回して、いかにパワーロスをなくして走らせるか。そして、くるくると動きを変えるのが楽しいって感じですね。
 比較するのには無理がありますけど、スーパー7のように脳と直結されたようなダイレクトなハンドリングとは違うし、マーコス1600GTのような繊細なコントロールで速く走らせよう、という感じでもない。
 うまく言えない感じです。
 ドイツのフォルカーさんにミニマーコスってどんな感じなの? って聞いても彼からのメールにはどこかうまく説明出来ないって感じがあったのはこういう事か、と思ったんです。
 スーパー7は例えれば、濃厚なエキスがいっぱいで、誰が飲んでもすぐにはっきりと理解できる。マーコスGT系もジェムさんがなにを考えて、どういう足周りで、どんなハンドリングでなにを目指したのかがはっきりとわかる。
 でも、ミニマーコスはエキスがなにかのずーっと奥の方に潜んでいて、一口飲んだだけではそのエキスがどんな感じなのか判らない。なんとなくどんなものかは判るんだけど、とても微妙でなかなか言い表せない、そんな感じです。
 うまく言えないけど、そんな感じです。
 あんな不思議な車ははじめてでした。

このオープンカーはビオタと呼ばれるやつで、ミニのエンジン使っています

 集合場所に到着して、集まったみんなといろいろな話をしたんですが、今までならスーパー7系の話が中心だったのに、今回はミニ系の話でしたからなかなかついていくのが難しかったんです。
 エンジンもケントユニットなんかじゃないし。
 このビオタなんか思い切り前輪の車軸よりも前にエンジンがあって、前後での重量差が150キロもあるんですよ。なのに乗せてもらうとちゃんとスポーツカーしている。スーパー7のようなイメージで乗ると、挙動がFFなのでむちゃくちゃ違和感がありました。でも楽しいからよしとします。

なるほどフロントミッドシップではなくてFFなんだな。
だって、前輪にエンジンがこれでもかと座っているんですから

これはJEM GT(マーコス社のものではありません)
マンガGTロマンに出て来たのはこいつです。

正面から走っている姿を見るとかなりかっこいい。
小さい車で楽しいのはなにもイタリア車やフランス車だけではないんだな、と感じます。

 さて、箱根から次に向かったのは沼津市にあるケントガレージです。
 実はここには、変わり種のミニベースのキットカーがよく置かれているそうです。で、行ってみると日本でもっとも知られているJEMがありました。
 なにを隠そう、この車こそマンガGTロマンに打倒スーパー7で登場した車そのものです。

レースで酷使された為に今はこんな感じになっていますけど、
いつかはこいつもまた誰かにハンドルを握られて走り出す事でしょう。

 ポイントはこのナンバープレートだそうです。
マンガの中でもこのナンバーのまま登場しているとか……

帰りの東名高速道路
それにしても、今の車が失ったなにかを古い車は持っている気がします。

 そんなこんなで横山さんと帰路についたわけですが、いやー、久しぶりに楽しかったですね。
 ミニマーコスには乗れるし。いろんな変わり種には会えるし。
 やっぱり、今度はマーコス1600GTをみんなにお披露目したいですね。

 そうそう、私はよくマーコス1600GTをどら息子とかどら娘なんて言いますが、横山さんは御主人様だそうです。ご機嫌を損なわないように、「今日もよろしくおねがいします」という心境で接するとか……
 私なんか「そんなに出ていきたいなら出ていけ!」状態です。(でも内心は後悔する)

 あ、横山さん、またどこかに行くなら俺も連れていってください。